ニュー・アース 第2章

エックハルト・トール著
「ニュー・アース」サンマーク出版

第2章
エゴという間違った自己のメカニズム

・言葉やラベルを貼りつけないで
世界をありのままに見れば、
はるか昔に人類が思考を使うのではなく
思考に縛られたときに失った
奇跡のような畏敬の念が甦る。

・「自分(I)」という意識、
「在る(Beingness)」とういう意識を
自分と混同されているすべて
自分と同一化しているすべてから
切り離さなくてはいけない。
自分をモノや事物から切り離すこと
が本書のテーマである。

モノと自分の同一化とは
モノに自己意識をかぶせることによって
モノから自分のアイデンティティを引き出すこと。

・「私(I)」という思考は、
性別、持ち物、知覚される身体、国籍、人種、
宗教、職業、母親・妻などの役割、
積み重ねられた知識、好悪などの意見、
過去に起こった出来事
(私と私の物語として自己意識を規定する)
などを引き寄せる。
これらは人がアイデンティティを
引き出すほんの一部である。
しかし「私(I)]という場合に指しているのは
ふつう、これらである。

・モノとの結びつきによって
自分のアイデンティティを強化したいという
無意識の衝動は、
エゴイスティックな心の構造に
しっかり組み込まれている。

・人はモノ(製品)を買うのではなくて
「アイデンティティの強化」を買う。

・何にアイデンティティを感じるかは、
エゴの中身と関係する。

・モノに執着を感じたら、
それはエゴであると気付かなくてはならない。
モノではなくモノに込められた
「私のもの(my)」とういう思考に執着しているから。

・生涯を通じて完全な自己意識を求めてきたが
実は探し求めていた「大いなる存在としての自分」は
いつも目の前にあったのに見えなかった。
モノにアイデンティティを求めていたからで、
つきつめれば思考つまり心にアイデンティティを
求めていたからだと気づく。

執着に気づいている、その気づきが私である。

・もっと欲しいという欲求、充分でないという思い
はエゴの特徴である。

・両手のなかのかすかな生命感を感じる。
これが「内なる手」である。

エゴとは「自己」という意識、
エゴという意識をまとって
繰り返し生起する思考の形と
条件づけられた精神・感情のパターンの
塊である。

・形のない意識である「大いなる存在(Being)」と
感覚である「私は在る(I Am)」が
形とごっちゃになったときに
エゴが生じる。
これが自分と個々の形との同一化
(アイデンティフィケーション)である。

・自分を同一化していた形、
自己意識を与えてくれた形が
崩壊したり奪い去られたりすると、
エゴも崩壊する。
エゴとは形の同一化でだから、
同一化する対象がなくなったとき
「大いなる存在」の感覚、
「私は在る」という意識が
形の束縛から解放される。

・あなたの存在の究極の真実は、
私はこれであるとか、
あれであるとかではなく
「私は在る」である。

・悲劇的な喪失にぶつかったときは
抵抗か屈するしか選択はない。
屈するとは、
あるがままを受け入れることである。
人生に向かって自分を開く。
抵抗せずにあるがままを受け入れると、
意識の新しい次元が開ける。

 

自分を変えるには、
自分の思考の枠組みを変える。
パラダイムシフトをしなければいけない
と考えていた。

でもそもそも思考自体は
形あるものに同一化して
アイデンティティを求めているエゴであり
自分ではないというのは
大きな気づきだった。

私は大きな喪失を経験した時、
それに対し屈した(現状を受け入れた)ので、
同一化するものがなくなり、
エゴが消えたので、
心が平安になった。

それが「私は在る」という感覚なのだ
ということがわかった。

モノや感情に執着している自分に気づく。
気づくためにつねに自分の思考に意識を向ける。

 

3章へ続く>>

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