エゴと本当の自分

成長するにしたがって、わたしたちは、
個人的・社会的環境に基づいて、
「わたしは誰か」、というイメージを
形成していきます。
この「にせの自分」は、またの名を

「エゴ」

と言います。

エゴは思考活動によって、
存在が成り立っています。
・・・・
自分でも気づかないあいだ(無意識)
思考を自分と同一視する
ことでつくられる「にせの自分」を
意味しています。
(超シンプルな生き方 P23、
エックハルト・トール著)

とエックハルト・トールは言ってる。

 

私は思考が自分だと思ってた。
でも自分の思考を観察すると
意識しなくても
勝手に思考が働いている
ことがわかってきた。

突然、
過去の悲しい出来事
腹のたつ人
楽しかったことなどが
ぽっと頭の中に出てきて、
それを種にしてあれこれ考え始める。

考えるだけだったらいいんだけど
そこから不快な感情や愉快な感情に
なったりする。

過去だけだはなく未来のことも
ぽっと頭の中に出てきて、
それを種にしてあれこれ考え始める。

うまくいかないであろう出来事や
希望的観測な出来事を考えては
そこから不快な感情になったり、
愉快な感情になったりする。

これが絶え間なく
頭の中で起こっていることがわかった。
この思考と感情で頭の中がいっぱいになってる。

この自分が思考をコントロールでていない
状況は無意識の時におきる。

これらって現実にはおこってないこと。
自分がいる「今」とは何ら関係がない。

無意識にいると
この思考の洪水で頭がいっぱいになって、
これが日常的だと
この思考を自分だと思ってしまう。

 

自分の頭をたえず静かに観察してると、
この思考を観察する自分がいることに気づく。
それが意識。

意識していればこの思考を観察できるし、
無意識でいると思考が暴走して
自分になります。
これが「エゴ」。
そうエックハルト・トールは言っている。

 

いま、ここに、自分が在る

 

と強く意識すれば無意識にはならないとも
エックハルト・トールは言っている。

 

私はコーギーを飼っている。
朝晩散歩するとき、
途中の田んぼの真ん中で
(うちの近所は少し歩くと
広々とした田んぼが広がっている。)

静かに目をつぶり頭を無にして
(頭の中でいろんなことを考えないようにする。)
周りの
空気、音、匂いを感じて
自分の意識だけに集中することをやってる。

そうやって
いま、ここに、自分が在る
ことを意識する訓練をしている。

そうすると
田んぼのある地面、空と
自分が一体になったような気がして、
頭がスーっと気持ちよくなる。
まさにこれが
いま、ここに、自分が在る感覚

毎日これをやってる。

これをするようになってから
日常でも
「今とは関係ない過去や未来のことを
考えて落ち込もうとしてるな。」みたいに
自分の思考をだいぶ観察できるようになった。

そしてある程度観察していると
自分の思考には
ある程度パターンがあることに気づいた。

こういうとき
こういうこと考えて
こういう感情を抱くんだ
なみたいな。

意識が強くなってきた今は
昔と比べて「エゴ」が弱まってきた。

それによって
自分の本当にやりたいことが見えてきた。
「ニセの自分」ではなく
「本当の自分」の声に
耳を傾けられるようになってきた。

その声は本当にクリアだし、シンプル。

だから、続けられる。
無理やり習慣化しようなんて思わなくても
勝手にやっちゃう感じ。
だから楽しい。

私は、常に「今」この瞬間を意識している。

 

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